8月1日付のニューヨーク・タイムズは第一面に「21世紀の日本は、人口の減少と高齢化のため、国家としての活力と影響力を失って行くだろう」との内容の記事を載せた。まったく余計なお世話である。そんなことはないと思う。
日本の人口が減少に向かっているのは事実である。しかしこれ自体は決して悪いことではない。朝のラッシュ時の地下鉄に乗ってみるまでもなく、昔から日本では人が多すぎることが問題であった。『七人の侍』と『楢山節考』の映画を見てもわかる。だから人口減少は必ず生産性の上昇をもたらすので、人口減少に比例してGDPが減ることはありえない。
高齢化の進行にしても非生産人口の増加を必ずしも意味するものではない。健康医療、家事・介護ロボット、さらにアルツハイマー治療薬の開発がハイピッチで進んでいる。逆に子供の数が減るので教育、養育費の負担は軽くなる。「実質的な」生産人口比率は、いまとほとんど変わらない可能性が高いのである。
問題は、肉体的には元気でまだまだ働けるお年寄りにどう働いてもらうかである。定年延長が常識的な回答であろうが、中高年からは「まだ働かせるの、堪忍して欲しいな」との本音のつぶやきが聞こえることも事実である。先進諸国では高齢者の就業比率は急速に低下しつつあり従来型の定年延長はその流れに逆行するともいえる。別の高年者の有効活用法を考えねばならないのである。筆者の考えでは、ずばり、彼らには「本当の投資家」になってもらえばよいと思う。
日本の莫大な個人金融資産の大部分は60歳以上の高齢者に保有されている。彼らは非常に保守的であり、日本においては「リスクキャピタル」は遂に育たず、これが経済低迷の原因ともなった。
しかしいま高齢化しつつあるのは戦後生まれの「団塊の世代」である。いろいろ批判はされるが、ともかく戦後の民主教育のおかげで知識の平均レベルは高く好奇心も強い。1200兆円の個人金融資産も相続などを通じてやがては彼らのものとなる。その時こそ、日本に新しいタイプの投資家集団が出現する。麻雀、パチンコに明け暮れた世代だ、リスク・テイキングはお手のものだ。
現役を引退した「団塊の世代」は、日本の歴史上はじめて、生産者の利益ではなく消費者の利益を主張する政治的な層を形成することになる。前川レポート以来、指向されてきた日本経済の消費主導型経済への転換が、年老いた団塊世代の自己主張で一気に実現できるかも知れない。また国際金融市場でも彼らは「連合赤軍」的な投資行動で各国の金融当局者を戦々恐々とさせるかもしれない。
その数の多さ故に、戦後の日本社会を常に揺るがしてきた「団塊の世代」だが、われわれはまだまだ彼らから目を離すことができないように思う。
(橋本尚幸)